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箏曲家 鈴木創 公式ブログ「ことはじめ」

群馬県前橋市を拠点に活動する箏曲家鈴木創の公式ブログ「ことはじめ」です。

2021年02月

21 2月

おうちづくり日記

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

先日、自宅兼お稽古場を建てる土地が決まったことをお話しさせていただきました。

その後、建物の設計がほぼ固まり、数社の施工業者さんに見積もりをお願いして、見積もりが出てきました。

しかし、残念ながら予算オーバー。

私の目論見は、

・多少の予算オーバー → 内容変更や金額交渉 → 落とし所を見つけて工事着工

となる予定でした。

しかし、 予算と見積金額の乖離が大きいため、落とし所に到達しないと判断しました。

建築士さんには面倒をかけますが、プランを見直します。

それによりスケジュールは少し伸びてしまいますが、致し方ありません。
本当は、一日でも早く、新しいお稽古場で仕事をしたいです。

今までの計画は、予算は建築士さんには伝えてあったものの、お互いに実現したことをたくさん盛り込んだ様な部分もあります。

また、計画地が都市計画上の用途地域では商業地域内のため、防火設備を使わなければならないなどの制約があります。建築士さんはその中で、私の希望を実現すべくいろいろと考えてくれました。

しかし、金額的に無理をすれば、今後のライフプランにも関わってきますので、納得できる形で着工したいですね。

正直なところ、ネットでいろいろな建物の写真をみると、「こんな部屋、いいな〜」などと思うこともあります。

逆に、こういうことになったので、そういう憧れや希望を、いろいろな条件の中でどうやって実現するかの知恵を私も考えたいですし、「お、そうなんだ!!」「いいねー!」という提案も欲しいですね。

また、どうしてもゼネコン時代の感覚が出てくるのですが、ゼネコン時代に扱った建物と個人住宅の違いも感じました。

建築士さんと腹を割って、納得できる家づくりをしたいですね。 
20 2月

お三味線の楽譜で紆余曲折

こんにちは。はじめちゃんこと群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

今日は、お三味線の楽譜のことをちょっとお話しします。

4月上旬の舞台のお話をいただき、演奏曲目が決まりました。

2曲のうち1曲は私どもで受け継いでいる曲ですので問題なかったのですが、もう一曲について、紆余曲折がありました。

曲名をお伺いすると、生田流にある曲でした。
そして、お箏とお三味線があるのですが、お三味線の指定でしたので、その曲のお三味線の楽譜を取り寄せました。

その後、音源をいただいたら、なんと、まったく曲が違うんです!!

どういうことかというと、山田流に同じ曲名で異なる曲があり、そっちの曲のことだったんですね。

まず、楽器店にその曲のお三味線の楽譜を問い合わせると、「ない」という返事。
お箏の楽譜はあるのですが、お三味線の楽譜の出版社が事業を停止しているために、楽譜がないんですね。

次に、お付き合いのある山田流の方に問い合わせをしたところ、他の方がお持ちの楽譜の写しをいただることになりました。今日になり、その写しが手に入りました。

山田流で使っているお三味線の楽譜は横書きです。
多く目にするのは、「文化譜」と呼ばれている楽譜です。

一方、私どものお三味線の楽譜は縦書きで、「家庭譜」「縦譜」などと呼ばれています。
「家庭譜」という名前は、「大日本家庭音楽会」という会社から発行されているのに因んだ名前です。

「文化譜」と「縦譜」は、どちらも左手で押さえる所(「ツボ」と呼びます)を楽譜に記している「タブ譜」なのですが、数字がひとつずつずれています。「文化譜」は開放絃が0で、そこから高くなるにしたがって1、2、と数字が増えていくのですが、「縦譜」は開放絃が1になっています。

ですので、「文化譜」から「縦譜」に変換するときは、基本的には1ずつ数字を足していけばいいんですね。

今日もそのつもりで、いただいた楽譜を縦譜に変換していたのですが、どうもおかしいのです。変換した楽譜を見ても、メロディが見えないんです、、、

そこで「あ!!」となったのですが、いただいた楽譜が「文化譜」ではなく、「研精会譜」「小十郎譜」と呼ばれている譜なんです。

この譜は、タブ譜ではなく、ドレミを数字で表しているんですね。
ド(C)が1で始まり、シ(B)が7です。

上下三段になっていて、下の段から上に向かって、一の糸・ニの糸・三の糸で、それぞれの糸でどの音を出すかを、数字で表しています。
例えば、真ん中の段に5と書いてあれば、「ニの糸で、ソの音を出す」という意味なんです。

なので、タブ譜に慣れている私は、この譜を見ても、左手がどこを押さえていいのかわかりません。

おまけに、私どもはお三味線の「本調子」を低い一の糸から「DGD」とするのですが、研精会譜は「BEB」なんです。

ですので、研精会譜で「三の糸の1の音(C)」と書いてある場合は、「BEB」の調子で押さえるツボを考えるという作業が必要になります。

さらに、途中で「二上がり」という、二の糸が一音上がった調子に変わるので、同じ音が書いてあっても、押さえるツボが変わります。

そんなこんなで、「曲が違う」「楽譜がない」「見つかった楽譜が研精会譜だった」という、3つの問題を解決し、かつ、なんとか、お三味線の変換作業が終了し、先ほど確認を終えました。

次は、歌で同じことをしなければなりません、、、




 
18 2月

渋川の小学校で授業を行いました

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

今日2月18日は、学校訪問をさせていただきました。

渋川市内の小学校を訪問し、6年生の皆さんに、和楽器の授業です。

連続2時間の授業で、最初の1時間は、楽器の歴史や構造などの座学と、2曲の演奏を聞いてもらいました。

後半の1時間は、皆さんの体験の時間です。
お箏を全部で6面準備し、短時間ですが、全員に楽器に触れてもらうことができました。

爪は体験用の爪を持っていき、消毒用のウエットティッシュで手をよく拭いてから、爪をつけてもらいました。

終わった後も、私の楽器の周りに集まってきたり、体験用の楽器を触っていたりと、興味を持ってもらえた様に感じます。

たくさんのお子さんたちに触れるのは、元気をもらいますし、みんなのこれからの無限の可能性を感じます!!


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皆さんが密にならない様に、体育館で行いました。
最初は真ん中に並び、体験は周りに並んでいるお箏に班ごとに分かれました。

P2180003のコピー
モニターは、電子黒板になっています。
パワーポイントのスライドは、画面を触ると切り替えることができます。
専用のペンで書き込みができたりと、便利そうですね。

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ジェットヒーターで、暖かくしていただきました。

体育館の隅に、謎の箱を発見!
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蓋を開けてみると、鍵盤!!
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6人で使えるオルゴールみたいですね。
初めて見ました。

私は、5面のお箏を持ち込みました。
車をトランクスルーにして、こんな感じ。
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16 2月

レンタルビデオ店開業??

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

今日、お稽古場の前にこんな幟旗が立ちました。

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レンタルビデオ店の幟ですね。

そうなんです。副業を始めました。


って、なんでやねん!

今時レンタルビデオって!! 

実は、お稽古場の周りで映画のロケをやっていて、その小道具です。
バブルの頃のクリスマスの繁華街を再現する設定の様ですね。
ですので、レンタルビデオ店がまだ元気だった頃ですね。

朝、多くのスタッフが到着し、近くのビルに装飾をつけたり、電話ボックスを置いたり、クリスマスケーキの販売所をつくったりしていました。

そして、ネオンの明るさを再現する証明道具も。
お稽古場の電源もお貸ししました。

で、こんな感じ。
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左側の車も演出の一部です。

撮影の際には、多くのエキストラの型がいましたが、バブルの頃ということで、肩幅のある現職のスーツや、毛皮のコートなどの衣装でしたね。

残念ながら、エキストラさんのシーンのみということで、有名な俳優さんはきていませんでした。

映画が公開になったら見に行こうかな。

 
15 2月

大発見!!前橋城、大手門の石垣が発見される!!

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

この度、大ニュースが飛び込んできました!!

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なんと、県庁前通りの工事現場で、前橋城の大手門の石垣が発見されたんです!!

この石垣、おそらく今から400年近く前の遺構で、約250年間、土の中に埋もれていたと思われます。

まずは、現地の写真を。


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上の写真は、東から西に向けて撮影しました。
この石垣が、今回発見された遺構です。

石垣の向こう側に丸い石がいくつもみられますが、裏込めとみられています。

表面に鑿の跡があり、また隣同士の石が綺麗に並んでおり、当時の技術の高さが伺われます。

下の写真は、上の写真のパイロンの辺りから撮りました。
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では、この石垣が前橋城の大手門のどこに相当するかというお話をします。

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上の写真は、現地で昔の絵図を指差し、この場所を説明して下さった様子です。

下の写真は、私が持っている資料の、この部分を拡大して注釈を加えたものです。
酒井氏の頃の(詳しくは後述)前橋城の大手門です。
今回発見された場所を、オレンジ色で囲みました。

そして、最初の写真(もう一度下に掲載します)を撮った方向を、矢印で表しています。
撮影した場所は、ちょうど矢印のあたり、当時の堀の中でしょう。


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この写真の真ん中で横に伸びる石垣が、上の大手門の絵の赤い張り出しの部分です。
そして左側で直角に曲がって向こう側に伸びている辺が、大手門前の橋の方に伸びています。
おそらく、電柱や道路のあたりから橋がかかっていたのではないでしょうか。

反対の、右側から直角に手前に向かって曲がっている部分が、櫓の一番隅あたりの下の石垣でしょう。

そして、泥水が溜まっているところとその手前が、お堀です。
ですので、下にはかなり深く、石垣が続いているはずです。

現地の方の説明によると、大手門の絵に書かれている櫓門は、4代目藩主酒井忠清の頃にはあったという言い伝えがあるそうです。

忠清は1637年から1681年の間に前橋藩主を務め、その間1653年には老中、1666年から1680年の間には大老に就任し、江戸幕府内で大きな力を持ったと言われております。

ですので、この石垣は、1600年代中盤には存在したと考えれます。

その後、酒井氏が姫路城に移り、前橋には松平大和守家(家康の次男結城秀康の系列。越前松平家)が入りますが、利根川に城地が侵食されたために、1767年に川越城に居城を移します。

前橋城は川越藩の代官支配となり、1769年に廃城となります。
この際に櫓などは棄却されましたが、おそらく下層部の石垣は残されたまま埋められ、約250年たった令和の今、発見されたのでしょう。

この発見の大きな意味、そして私の興奮、わかっていただけるでしょうか!!

その後、前橋城は再建され、再度川越から松平家を迎えます。
しかし直後に明治維新となり、再びお城は棄却され、この地域は官庁街として整備されたり、土地が民間に払い下げられました。

そして太平洋戦争では空襲の被害に遭い、その後の復興を経て、今に至っています。

すなわち、この石垣は、前橋の代官支配、お城の再建と再度の棄却、明治時代の整備、空襲、復興、その全てを土の中でずっと見守り続けてきたんです!

もう一度言います。


この発見の大きな意味、そして私の興奮、わかっていただけるでしょうか!!

今回はこの土地に計画されている建築工事にともない、発見されました。
この石垣は埋め戻されてしまいますが、偶々石垣の上部は建物は建たずに駐車場となる計画とのことです。

でも、何らかの形で、この石垣の存在が皆さんにわかる様になってくれることを望みます。 
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