みなさんこんにちは。群馬県前橋市の 箏曲家 鈴木創 です。

本日3月1日、群馬県では多くの高校で卒業式が行われ、たくさんの若者が学び舎を巣立って行きました。 

そんな中、私は共愛学園高等学校の卒業式に出席しました。 
共愛学園は、群馬県の私学の中で最も歴史があり、認定子ども園から大学までをもつ県内唯一の総合学園で、キリスト教主義の教育を行っています。私は縁あって、共愛学園賛助会の副会長と、学校法人共愛学園の評議員を務めております。 

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卒業生335名が一人一人壇上に上がり、校長先生から卒業証書を受け取りました。
一人一人を見ていると、いろんな生徒たちがいます。
それは、車椅子の子たっだり、明るそうな子、大人しそうな子、人種も様々だったりしました。
また、卒業生の名前を呼ぶ担任の先生の中には、手に名簿を持たず、一人一人の姿を見つめながら、名前を呼んでいる先生もいらっしゃいました。

これは、この学園の懐の深さ・広さと、先生方が一人一人にとても親身であるということを示していると思います。そして、そういったことが、常々私が感じている、「共愛学園の暖かさ」につながっているのでしょう。

祝辞などでは、
・学んだことを人生の光としてほしい。
・礼拝で学んだ聖書や賛美歌を、人生の中で忘れずに生かしてほしい。
・人生に起きることは、すべて神の意志があること。どんなに辛いことでも、それは乗り越えられるから与えられる試練である。
・選挙権が18歳となり、主権者として日本の国づくりに関わってほしい。
・強い想いはいつか形になる。
などの主旨のメッセージが、卒業生に伝えられました。

私は、今日の卒業式を見ていて、卒業生たちが羨ましかったです。

私は、公立高校を卒業し、大学はキリスト教系の大学でしたが、4年間一回もチャペルに行かず、聖書は触ったこともありません。何かの時には神社に行き、法事や葬式はお寺のお世話になり、クリスマスはインベントとして楽しんでいるという、ごく一般的な日本人の宗教観しか持ち合わせていません。キリスト教は、共愛学園に関わる様になり、少し勉強させていただいています。

そんな私が、なぜ共愛学園の卒業生達が羨ましかったか
というと、「キリスト教教育」という軸を持ち、社会に出て行くことができるからです。

日本は江戸時代、寺子屋で論語を始めとする「学問」を教えていました。子どもの頃は意味がわからず暗記していただけかもしれませんが、成長してくるにつれ骨肉化し、生きる軸や糧となってきたのでしょう。明治維新から昭和までは、修身や教育勅語などによって、学ぶ意味や生き方を教わってきたのでしょう。
しかし、戦後は、「生き方」を教えることを止めてしまいました。「論語」は、国語の授業で少し扱いますが、漢文の返り点などの学習程度で、その「教え」を伝えていません。すべて「テスト」の対象に限られてしまうのです。
その結果として、今、自分の頭で考えることができない、ちょっとのことで右往左往してしまう社会になりつつあるように感じています。

でも、共愛学園の卒業生は、キリスト教教育という「生き方」を身につけて、社会に出て行くことができるのです。それは、困ったときや迷った時に、必ず助けになります。
そして、「生き方」や「軸」は、宗教に限ったことではありません。「論語」を始めとする四書五経でもいいでしょう。何か一つ、自分の軸になることをもつことが、これからの日本にはとても大切なのです。

本日卒業式を迎えた全ての若者達に、輝かしい未来を迎えることを祈っております。