みなさんこんにちは。群馬県前橋市の 箏曲家 鈴木創 です。

実は、私が住む前橋市は、城下町なのです。
今はお城の本丸跡は群馬県庁になり、二の丸跡には前橋市役所が、三の丸跡には前橋地方裁判所があり、お城の面影はあまりありません。

しかし、前橋城は、「日本で一番新しい完成したお城」とも言えるのです。
おまけに、とても珍しい「民間の資金で築城したお城」なのです。 

簡単に前橋城の歴史を振り返ると、室町時代中期頃に箕輪城の支城として「石倉城」が築かれ、その石倉城が利根川の流れに浸食されると、旧城の三の丸を使い、16世紀中頃に再築されました。

その後、戦国時代には武田・北条(後北条)・上杉 などが攻防戦を繰り返しますが、
織田信長が武田家を滅ぼすと、織田信長の家臣滝川一益が前橋城に入ります。

この時に、真田昌幸と滝川一益が前橋城で面会した様子が、大河ドラマ「真田丸」では描かれていました。
また、 滝川一益は近くの長昌寺でお能を演じており、それが群馬県のお能の始まりとも言われています。

江戸時代に入り酒井家が藩主となると、前橋城の改築を行い、天守を持つ近世城郭へと変貌します。

その後、1749年に酒井家に代わり、越前松平家が前橋に入りました。
この頃になると、利根川による前橋城の浸食が進み、藩主松平朝矩は川越に移転し、前橋は川越藩の分領になり、陣屋が置かれる様になってしまいました。

やはり領主不在の街は荒廃します。
領民の領主帰還・お城再築の願いは強く、再三松平家にそその請願がなされました。

やがて1830年代には利根川の改修が進んで危険性が減少し、さらには1859年の横浜開港によって、生糸の輸出で前橋の経済発展は進み、ようやく川越藩主松平直克は幕府に願い出て、前橋城の再築を開始しました。

江戸幕府としても、万が一江戸が外国から攻撃された場合にも、利根川を使って避難できる前橋を、江戸城に代わる要塞とできるという狙いがあった様です。

ということで、再築された前橋城は、当時の最新技術が使われ、要所要所に砲台を備えた非常に近代的なお城となったそうです。

1867年3月、松平直克は前橋に入城します。

しかし、半年後、大政奉還により江戸幕府は終焉を迎え、廃藩置県により前橋城は取り壊しが決定されてしまいます、、、

ただ、本丸御殿は取り壊しを免れていたために、 前橋に県庁が置かれる一つの要因となったそうです。

この歴史の中で、ポイントは、幕末の再築です。
・前橋城は1867年に竣工し、その時の資金は生糸で経済力を付けた領民が費用を拠出しました。
・函館の五稜郭は、 1864年竣工。
・千葉県に「松尾城」というお城があり、これは1869年に着工されましたが、1871年の廃藩置県を受け、未完成のまま工事が中止されました。

ということは、前橋城は、
・江戸時代最後に完成したお城 
・民間資金で工事を行い、領主を迎えたお城

ということが、最大の特徴になるのではないでしょうか。

前橋の小ネタや宣伝ポイントとしていかがでしょうか。

*この記事は、Wikipediaや、Facebookでの投稿等を参考にさせていただいております。