こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家鈴木創です。

今日は、高崎芸術劇場に初めて行って来ました。
ちょっとネガティブなニュースで有名になってしまいましたが、純粋に音楽などの拠点として、そのイメージを確立して欲しいです。

駐車場探しで時間がかかるのが嫌なので、前橋駅に車を置き、電車で移動。
JR高崎駅からは、ペデストリアンデッキで繋がっていて、屋根もついているので雨が降っていてもあまり濡れずに行けるでしょう。
東京から新幹線で1時間弱で来て、そのまま芸術劇場にアクセスできます。

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写真でみると、とても長いペデストリアンデッキですね。

そして、到着。
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早めに行き、建物の中を一回りしたのですが、その感想は頁を改めさせて頂き、今日は見に行った公演の感想をお伝えします。

今日の目的は、高崎芸術劇場「能舞台 披露公演」でした。

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この能舞台、組み立て式になっており、このホールを他のイベントで使うときには撤去できるそうです。

公演は、高崎市出身の下平克宏先生や、狂言師野村萬斎さんなども出演の、とても豪華な内容です。高崎芸術劇場能舞台の柿落し公演でもあるので、それに因んだ演目です。

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最初は「能 翁」。

「翁は能にして能にあらず」と言われているそうです。
私がいままで見たことのある能は、何かしらの設定やストーリーがあるのですが、「翁」にはそれがありません。
なぜかというと、神聖な儀式であり、天下泰平・国土安穏・五穀豊穣を祈る意味があるんですね。
高崎芸術劇場の能舞台で初めての演目として、「神聖な儀式」はとても意味があると思います。
笛や鼓、地謡の方々も、通常とは違う着物です。

最初は翁の謡い、次に千歳の舞、そして翁の舞。最後は華やかな揉之段と鈴之段となります。
私たちは、出演者の謡や舞をひたすら1時間見続けます。

その後は、「仕舞」を経て、狂言の「二人袴」。
婿入りに行く息子と父親が、長袴が一着しかないので、婿入り先の家で袴を前後に二つに裂き、エプロンの様にしてつけて、さてどうなるやら、という内容です。
やりとりの滑稽さに、会場からはクスクスと笑いが出ました。
狂言がなければ、緊張感が続き、観客はとても大変でしょう、、、

最後は、半能「石橋(しゃっきょう)」です。
これもストーリーはなく、石橋の傍らで文殊菩薩の霊獣である白獅子と赤獅子が現れて、牡丹の花に戯れて舞うという演目です。
牡丹の設えや、赤獅子・白獅子の衣装などがとても華やかでした。

また、私共が伝承している地歌の曲の中にも「石橋(しゃっきょう)」という曲があり、詩句が共通する部分などもありました。

今回の公演を見ての感想をお話しさせていただきます。

まずは、日本人は、何もない部分にも何かを感じ、それをとても大切にしているんだ、ということです。鼓の音と音の間の何もない「間」や、踊りの動作と動作の間の「間」、さらにはすり足でゆっくりと歩く時間にも、その静の中に動を感じ、それが心に響きます。

次に、対比です。「翁」は全体として「静」を感じましたが、その中にも「鈴之段」にむかって徐々に「動」になっていきます。「静と動」を対比することにより、お互いが引き立ちます。

「石橋」でも、熟練の白獅子と、若い行動的な赤獅子。牡丹の赤と白、などが対比され、それぞれの存在を際立たせています。

次は、「外で見たい」と思いました。今では、能舞台はほとんど室内にありますが、昔ながらの屋外の舞台で見てみたいです。なぜかというと、今日、笛の音が風の流れに感じました。また、大鼓の方のかけ声が、オオカミや犬の遠吠えなどにも聞こえてきました。それらの音が、屋外で演じたときにどのように響くのか、そしてそこに木魂する小鼓の音、そして演者が生じる陰影。それを感じてみたいです。

最後に、「引き込まれ感」です。お能を見ていると、思わず引き込まれ、上半身が前に出て、椅子の背もたれから背中が離れることがあります。何によってそうなるのかを考えたのですが、舞台の上のみなさんの、体の底から出るものなのでしょうか。台本や楽譜を見ながら演じている方はだれもいません。全体の指揮者もいません。でも、間があっているのです。それは、それぞれの演者が自分の役割を何度も何度も練習し、体の芯にしみこませ、そしてそれを繰り返し合わせて、自分自身の深いところから演じているからなのでしょう。自分も、そういった演奏ができるようにしないと、、、、

次回は、「高崎芸術劇場」の建物を見た感想をお話しさせていただきます。