こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家鈴木創です。

今日は、ここに行ってきました。


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県立群馬の森の中にある、群馬県立歴史博物館です。

目的は、

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「綿貫観音山古墳のすべて」です。

今年3月、国の文化審議会が、「群馬県綿貫観音山古墳出土品」を国宝に指定することを文部科学大臣に答申しました。9月頃の官報に掲載されれば、出土品が国宝になります。

そして、その出土品すべてが、この群馬県立歴史博物館に保管されており、国宝指定を記念して、今回の企画展示が行われました。

ちなみに、綿貫観音山古墳は、群馬県立歴史博物館のすぐ近くにあり、墳丘の上にのぼると、赤城や榛名の山から、関東平野が見渡せます。

この企画展示は、もちろん綿貫観音山古墳の出土品をメインに展示されていますが、奈良県の藤ノ木古墳や、福岡県の沖ノ島祭祀遺跡などからの出土品(国宝がいっぱい)も展示されていて、「国宝と、国宝就任予定のオンパレード」でした。

なぜ、他の古墳や遺跡の出土品を展示しているかというと、埋葬品の類似性を表現し、古代における地域の首長レベルの交流を物語るためです。
綿貫観音山古墳からは、藤ノ木古墳をはじめとする、各地域の首長レベルが眠っていると思われる古墳からの出土品と類似したものが出土されているので、ヤマト政権や各地域の首長との交流がわかります。
中には、韓国の武寧王陵との類似が指摘される出土品もあり、群馬の地の有力者が、国内だけでなく海外ともネットワークを持っていたことがわかります。
 
綿貫観音山古墳について、今回初めて知ったとても意外なことは、石室内には棺がなく、被葬者が横に寝させられていたということです。ですので、副葬品に囲まれて、実際に眠っているような景色だったと想像されます。 

展示されていた副葬品は、武具・馬具・祭祀道具・食器などでした。それらを見て疑問に思ったのは、そういった副葬品は、埋葬の際に新たに作ったのか、それとも、被葬者が生前実際に使ったものを副葬品としたのか、どっちなのかな?ということです。
現代の葬儀では、棺などに本人のお気に入りだったものなどを入れますよね。

また、これは私の仮説なのですが、他地域で製造されたものが副葬品となっているのは、ひょっとしたら、他地域の首長が、綿貫観音山古墳の被葬者が亡くなったときに、追悼の意を表現するために送ってきたのではないか、などとも思いました。
現代でいえば、「群馬の〇〇さんが亡くなって、葬儀には行けないから香典を送ろう」、といった感じなのかな、とも想像してみました。

一番驚いたのが、道具を作った技術レベルの高さです。
今から1,500年前ですが、ベルトのバックルの様な金具があります。馬具はそのまま現代でも使えそうなものですし、装飾の精緻さなどは、現代の職人さんでも製作が難しいのではないかと考えられるレベルです。そう考えると、工芸の技術は、もうこの時代に確立していたのかな、と感じました。

群馬県立歴史博物館は、企画展の他に常設展もあり、群馬県の歴史を古代から近現代に至るまで展示しています。そちらもかなり充実の内容で、全て見るとぐったりします。
また、今回は綿貫観音山古墳の企画展に合わせ、常設展の古代のコーナーに、綿貫観音山古墳の墳丘上に並べられていた埴輪も展示されていました。馬の埴輪などは、私の胸の高さくらいまである大きさで、圧倒されました。被葬者の当時の権力を感じます。

さて、今回の企画展示は、新型コロナウイルス対策のため、事前予約制で人数制限を設けています。そのせいでしょうか、また平日の昼間ということもあり、来場者が少なく、ゆっくりと展示品を見ることができました。

地域の歴史を見る時間、堪能しました。
しばらくは図録も楽しもうと思います。
入場料700円と図録が1,200円で、かなりコスパ高いと思います!

コフンにコーフン!

詳しくはこちらから。

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