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箏曲家 鈴木創 公式ブログ「ことはじめ」

群馬県前橋市を拠点に活動する箏曲家鈴木創の公式ブログ「ことはじめ」です。

想い

7 7月

コロナ禍の災害を見て思ったこと

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

今朝の、山陰地方の雨のニュースには、大変驚かされました。

松江市に知人がいるので連絡を取ったところ、「地域によって違いもあるが、まだ大きな被害にはなっていないが、予断を許さない状況」ということで、写真も数枚送ってくださいました。

写真を見ると、川の水位が増し、濁流がいまにもあふれんばかりに流れている姿や、車のタイヤの高さまで水が上がっている状況がわかります。

熱海の土石流も、ニュースを見ていて心が痛みます。

このところ、こういった大雨や、東日本大震災や熊本の地震等、大きな災害が続いております。

そして、世界中に深刻な影響を及ぼしている新型コロナ禍。

こういった、相次ぐ人類の存亡に危険を及ぼす様な災害は何を語っているのでしょうか?

ひょっとしたら、今の人類のあり方に、何か警鐘を鳴らしているのではないでしょうか。

経済的な利益だけを優先したり、人の心を考えずにネット上で攻撃したり、刹那的短絡的な楽しみだけを追求したり、そんな今の人類に対する戒めの様に感じることもあります。

じゃあ、自分はそこで何ができるのか。
音楽や芸術が、世の中のため、人のために何ができるのか、最近いつも考えています。

そんな時、熱海の様子を見て、車にお箏を乗せて駆けつけたい気持ちが起きました。
ご自宅を奪われ、ホテルなどの仮のお住まいにいらっしゃる方に、何か力になれないかと思ったんです。
でも、現地が混乱している今は、まだ時期尚早かと思っています。

私たち音楽や芸術に関係している者は、明日をも知れぬ不安に苛まれている方々に、少しでも癒しやくつろぎをお届けし、そしてほんの少しでも前向きな心を持っていただき、生活再建のことを考えていただく余裕を持っていただくお手伝いが、その役割と思います。

一人一人が、ほんの少しでも、人のために、世の中のために何ができるか、ちょっと考えてみませんか。

 
6 7月

「まちなかランチ」の投稿について

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

最近、「はじめのまちなかランチ」のことを話題にされることがあります。

それは何かというと、前橋のまちなかでランチをした際に、
FacebookとInstagramにお店や料理のことをアップしています。

だいたい毎日まちなかでランチをしているので、
ほぼ毎日アップしています。
おかげで、Instagramはあたかもグルメアカウントの様になってきました(笑)

話題になるのは、
「おかげでまちなかのお店の情報がわかるようになった」
「毎日継続していてすごい」
といった感じの内容が多いですね。
飲食店の方からも、お礼の言葉をいただくことも多くなりました。

中には、「エンゲル係数 上がったんじゃないの?」という方もいましたが、食生活は変わっていません。SNSにアップする様になっただけです。

そもそも、なぜ「はじめのまちなかランチ」を始めたかというと、 
5月の中旬から群馬県が新型コロナの「まん延防止等重点措置」の区域になったときに、飲食店がアルコールを出せなくなったり、20時以降の営業ができなくなったりと、大変困った状況になりました。

もう1年以上、コロナで苦労しているのに、追い討ちをかける様な状況になったわけです。

まちなかを元気にしたいといつも思っている私としては、「自分になにができるのかな?」と考え、
・こんな状況でも、ランチをやっているお店を紹介しよう
・まちなかの頑張っているお店、魅力あるお店をみんなに知ってもらおう
と思い、SNSでの投稿を始めました。 

私はお酒が飲むのが好きです。
なので、コロナ禍で、まちなかの飲食店が苦労していることに対して、ただ見ているだけということはできなかったのです。何もせずにいられなかったのです。
でも、まん防なので、お店はアルコールは出せません。
なので、僕にできることは、1日1,000円くらいのランチを食べに行くこと。そしてそれを、SNSに載せることだったんです。

まん延防止の期間中だったで、「はじめのマンボーランチ」という名前にしました。

で、まん防も終わったんですけど、相変わらずまちなかの夜の街は、まだまだ大変な状況です。ですので、継続して「まちなかランチ」として今でも続けております。

「いつになったら終わりにできるのかなあ」
と考えることもあります。

でも、コロナが落ち着くまでは、まちなかの活性化の活動として、続けられればなあと思います。
 
インスタのアカウントは、こちらになります。 
11 3月

震災から10年。自分が果たすべき役割。

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

今日は、否応もなく10年前を思い出します。

地震が発生した時は、前橋市のけやきウオーク近くの路上の車の中で、信号待ちをしておりました。
突然揺れだし、最初は車の故障を、次に風を疑いました。
地震であると認識したのは、ラジオから流れる声です。

所々信号が消えた道を運転し、用事を済ませ、当時の勤務先に戻りました。

建設会社だったので、お客様の会社から連絡が入ったり、逆に心配な現場を回ったりと、様々な緊急対応に追われたことを思い出します。

当日の夜は、自宅が停電しており、マンションの9階までペットボトルに汲んだ水をもち、階段で上がりました。

やがて、お客様が所有している仙台市内の建物の建て替え工事に関わることになり、しばしば東北へ赴き、その際に津波が来た地域にも足を運びました。

その仙台市内の工事は、「民間企業が自力で行う復興再建事業」として、テレビにも取り上げられました。

その時は、建設会社の社員でしたので、お客様の依頼を請けて少しでも社会資本整備の復興に取り組むことが、自分の役割と考えていました。

今、音楽を生業としていて、自分が世間に対して果たすことの役割はなんだろうかを、改めて考えます。

文化や伝統の伝承でしょうか?

それもあるでしょう。

では、日本の伝統音楽ができることは何なのでしょうか?

音楽は、人の心を癒したり、穏やかにする力があります。

でも、私は作曲者ではありませんし、地歌の世界の歌詞は、その場で聞いてすぐに理解できる内容ではありません。それが、聞いている人に伝わるのでしょうか?

ふと、先日見に行ったお能のことを思い出しました。

お能のセリフや謡の言葉も、知識がなければその場で理解できる内容ではありません。
でも、内容は伝わってきたし、私の中には静かな高揚感がありました。 

そう、言葉は大切ですが、言葉があることに思考を留まらせてはいけないのかもしれません。

何が伝えたいのか、その大きなものを体全体で表現する、それが私たち表現者のすべきことなのかもしれません。

自分の全てをそこに出す。そのためには、曲の全てを体の芯に取り込んでいく。

そして、聞いている方の心に届け、全てを浄化する様な気持ちになっていただく。
その結果、心が穏やかになり、明日からの生きる力になる。それが、表現者の役割でしょう。

技術のその先の境地を目指します。 
4 2月

日々の心がけ

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家鈴木創です。

なりたい自分になる、そう願っています。

でも、こうなりたいという姿に向かっていても、急いでいるときや咄嗟の時に、悪い部分が出てしまいます。

そういう時に、なりたい姿に多少でも近づいているというのは、体にそれが相当しみこんでいないと難しいですよね。それか、意志や理性の力がしっかりとしていて、自分をコントロールできていないとだめ。

無意識の自分を変えるには、意識的なことを常に続けて行くことが必要でしょう。

これは、芸にも言えること。

なぜ自分のなりたい姿があるかというと、やはり芸を良くしたいから。

自分の所作や立ち居振る舞いも、芸に通じる。
それらは、別々のものでなく、渾然一体となっているのだろう。 
21 9月

9年間お疲れ様でした

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家鈴木創です。

9月21日をもって、前橋市のまちなか、千代田町にある知人のお店が閉店しました。 

そのお店は、Cafe Frida(カフェフリーダ)です。

開店から9年。
まちなかで9年間も飲食店を継続したことは、とってもすごいことです。

店主の池下さんとは、長いお付き合いです。

直接の付き合いは、池下さんと私が、お互い建設会社の社員として同業者だった頃から。
おそらく、私が前橋に戻ってきた27歳くらいの時からでしょう。

それ以前から、家同士や会社同士の付き合いはとっても深く、
お互いの会社は、古塩松蔵さんという同じ親分の元から、兄弟分の様に独立しました。

池下さんのご両親の仲人は私の祖父母で、私の祖父母は池下さんの身内の方を下の名前で呼んでいました。それくらい近い仲なんですね。

池下さんと私は偶々小学校・中学校が同じで、池下さんの妹さんが、私の一学年上にいらっしゃいました。

建設会社にいたときも、お互いにそれぞれの会社の創業一族で唯一の若手だったのにもかかわらず、いろいろとままならぬことがあり、私は勝手に池下さんにシンパシーを感じていました。

その後、池下さんは建設会社を退社。その時の私は、同業の中で同じ様な想いをしていた池下さんが業界を離れたことに、とてもショックを受け、孤独感を感じていました。

準備期間を経て、池下さんはCafe Fridaを開店。
私もしばしば訪れ、話しを聞いてもらったり、池下さんの話しを聞いたり、けっこう精神的に落ち着く時間を過ごしていました。

鉄子さんとの出会いもCafe Fridaでした。
コンニャクを日常の食生活に取り入れて欲しいというこんにゃく会社の社長さんが企画した「こんにゃく宴会」に参加し、その時に鉄子さんと出会ったのです。

閉店の前日の夜は、私たち夫婦は、Fridaにお邪魔して時を過ごしました。

2020-09-20フリーダ


私が会社を辞めるときにも、池下さんにはいろいろ話しをさせてもらいました。

建設会社を辞め、自分のやりたい道に進む。
その意味では、池下さんと私は、同じ様な流れを歩んでいるのかもしれません。

Fridaが閉店してしまうのは、とても寂しいです。
でも、池下さんには新しい仕事のオファーが来ていて、10月からそちらの仕事に従事されます。
池下さんのことですから、その仕事でもきっとご活躍されることと思います。

新しい仕事が落ち着いたら、一緒に一杯やりたいですね。

2020-09-21 18.34.38






 
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