こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

週に一回水曜日、まえばしCITYエフエムでお送りしている「はじめのまえばし心の旅」。 

昨日8月25日のテーマは「高校野球」でした。

リスナーの皆さんの反応も大きく、メールなども番組に大変たくさんいただきました!

音声データはこちらからお楽しみ下さい。

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今、熱戦が繰り広げられている甲子園。今年はコロナや雨に大きな影響を受けたが、夏の熱 い戦いを見ていると、子供の頃からの、様々な出来事を思い出す。

私の祖父が、前橋工業高校、いわゆる「マエコー」の野球部に関係していたので、子供の頃から前工野球部は生活の 一部だった。休みの日は毎週の様に祖父に連れられて、当時岩神にあった前工野球部のグラウンドに行っていた。夕食も野球部の生徒と一緒のこともしょっちゅうだった。夏休みなど の旅行先は、前工の遠征先。もちろん、敷島球場や城南球場の試合の応援も数えきれない程見に行った。

その中でも特に記憶に鮮明なのは、昭和 58 年の夏の県大会の決勝だ。前工対太田工業。現在埼玉⻄武ライオンズのジェネラルマネージャーを務める渡辺久信さんがマウンドに立っていたが、延⻑戦の末押し出しのフォワボールで、太田工業にサヨナラ負けをしてしまった。
 

そんな縁から、祖父は渡辺さんの結婚の際には仲人をし、私も披露宴に出席させていただい ている。その渡辺さんが⻄武ライオンズの監督就任 1 年目に日本シリーズで優勝を果たしたその日に、祖父が旅立ったのは、強い運命を感じる。きっと、祖父の魂は、決戦の場、東 京ドームにいたと思う。
 

私が大学生の頃、前工が甲子園で2 年連続ベスト4になった。テニスサールの練習日だったが、練習そっちのけで、テニスコートのテレビで甲子園を見ていた。その数年一高校が群馬としてめて甲子園で優勝したが、しい反面、それが前工でなかった のが、ちょっと複雑な心だった。
 

でも、私が業したのは前橋高校、マエタカだ。高校生の頃はもちろん、敷島にを運び、 「イ前橋!」をみんなでんだ。ただ、前高対前工の試合だけは、どっちを応援したらいいのかわからなかった。
 

社員平成 1年、前高がの甲子園に出場した。その時の任先の支店⻑が前工野球部のOB だったが、「前高が甲子園にいなんて滅多にないんだから、今日はまえはテレビを見てろ」とってださり、支店テレビ独占した。
 

その8年平成 22 年、前工がの甲子園に出場し、私も甲子園に応援に行った。その時の前工野球部の監督が、平成 1年に前高が甲子園に行った時の選手だった。これもかのり合わせと思う。
 

その頃、前高野球部の監督に、私の同級生が就任した。やはり、同級生が監督だと、応援に

熱がる。敷島球場のスンドに、部ご兄以外にやけに熱い一がいたが、それが私 たち監督同級ームだった。
 

平成 25 年、前橋育英高校が、甲子園出場優勝を果たした。決勝戦の日、会打 ち合わせで「今日は育英の応援にいきます」と宣言し、会にして元気 21 のパブッ クビューイングを見に行った。県の優勝、それも前橋の高校ということで、本当に上 がった。面白かったのが、育英業生の多くは甲子園りしたのだろうか、元気 21 に集 まっていたのは、前高業生がかったことだ。
 

高校野球は、1回負ければわりだ。そして、高校生に来年はない。その緊張感やき に続けてきた純粋努力。その経験は、高校球たちにとって、そのの人生に大きなと なるだろう。私たちにとっても、その姿がをもらう。勝けて頑張った一人 一人の、これからの人生にあらんとう。