こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家鈴木創です。
9月21日をもって、前橋市のまちなか、千代田町にある知人のお店が閉店しました。
そのお店は、Cafe Frida(カフェフリーダ)です。
開店から9年。
まちなかで9年間も飲食店を継続したことは、とってもすごいことです。
店主の池下さんとは、長いお付き合いです。
直接の付き合いは、池下さんと私が、お互い建設会社の社員として同業者だった頃から。
おそらく、私が前橋に戻ってきた27歳くらいの時からでしょう。
それ以前から、家同士や会社同士の付き合いはとっても深く、
お互いの会社は、古塩松蔵さんという同じ親分の元から、兄弟分の様に独立しました。
池下さんのご両親の仲人は私の祖父母で、私の祖父母は池下さんの身内の方を下の名前で呼んでいました。それくらい近い仲なんですね。
池下さんと私は偶々小学校・中学校が同じで、池下さんの妹さんが、私の一学年上にいらっしゃいました。
建設会社にいたときも、お互いにそれぞれの会社の創業一族で唯一の若手だったのにもかかわらず、いろいろとままならぬことがあり、私は勝手に池下さんにシンパシーを感じていました。
その後、池下さんは建設会社を退社。その時の私は、同業の中で同じ様な想いをしていた池下さんが業界を離れたことに、とてもショックを受け、孤独感を感じていました。
準備期間を経て、池下さんはCafe Fridaを開店。
私もしばしば訪れ、話しを聞いてもらったり、池下さんの話しを聞いたり、けっこう精神的に落ち着く時間を過ごしていました。
鉄子さんとの出会いもCafe Fridaでした。
コンニャクを日常の食生活に取り入れて欲しいというこんにゃく会社の社長さんが企画した「こんにゃく宴会」に参加し、その時に鉄子さんと出会ったのです。
閉店の前日の夜は、私たち夫婦は、Fridaにお邪魔して時を過ごしました。
私が会社を辞めるときにも、池下さんにはいろいろ話しをさせてもらいました。
建設会社を辞め、自分のやりたい道に進む。
その意味では、池下さんと私は、同じ様な流れを歩んでいるのかもしれません。
Fridaが閉店してしまうのは、とても寂しいです。
でも、池下さんには新しい仕事のオファーが来ていて、10月からそちらの仕事に従事されます。
池下さんのことですから、その仕事でもきっとご活躍されることと思います。
新しい仕事が落ち着いたら、一緒に一杯やりたいですね。
9月21日をもって、前橋市のまちなか、千代田町にある知人のお店が閉店しました。
そのお店は、Cafe Frida(カフェフリーダ)です。
開店から9年。
まちなかで9年間も飲食店を継続したことは、とってもすごいことです。
店主の池下さんとは、長いお付き合いです。
直接の付き合いは、池下さんと私が、お互い建設会社の社員として同業者だった頃から。
おそらく、私が前橋に戻ってきた27歳くらいの時からでしょう。
それ以前から、家同士や会社同士の付き合いはとっても深く、
お互いの会社は、古塩松蔵さんという同じ親分の元から、兄弟分の様に独立しました。
池下さんのご両親の仲人は私の祖父母で、私の祖父母は池下さんの身内の方を下の名前で呼んでいました。それくらい近い仲なんですね。
池下さんと私は偶々小学校・中学校が同じで、池下さんの妹さんが、私の一学年上にいらっしゃいました。
建設会社にいたときも、お互いにそれぞれの会社の創業一族で唯一の若手だったのにもかかわらず、いろいろとままならぬことがあり、私は勝手に池下さんにシンパシーを感じていました。
その後、池下さんは建設会社を退社。その時の私は、同業の中で同じ様な想いをしていた池下さんが業界を離れたことに、とてもショックを受け、孤独感を感じていました。
準備期間を経て、池下さんはCafe Fridaを開店。
私もしばしば訪れ、話しを聞いてもらったり、池下さんの話しを聞いたり、けっこう精神的に落ち着く時間を過ごしていました。
鉄子さんとの出会いもCafe Fridaでした。
コンニャクを日常の食生活に取り入れて欲しいというこんにゃく会社の社長さんが企画した「こんにゃく宴会」に参加し、その時に鉄子さんと出会ったのです。
閉店の前日の夜は、私たち夫婦は、Fridaにお邪魔して時を過ごしました。
私が会社を辞めるときにも、池下さんにはいろいろ話しをさせてもらいました。
建設会社を辞め、自分のやりたい道に進む。
その意味では、池下さんと私は、同じ様な流れを歩んでいるのかもしれません。
Fridaが閉店してしまうのは、とても寂しいです。
でも、池下さんには新しい仕事のオファーが来ていて、10月からそちらの仕事に従事されます。
池下さんのことですから、その仕事でもきっとご活躍されることと思います。
新しい仕事が落ち着いたら、一緒に一杯やりたいですね。