こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家鈴木創です。
今日は、合間にリフレッシュを求めて、散歩。
いつも通り、広瀬川の回りを中心に歩いていました。
そうすると、先の方から、男性がこちらに向かって手を振っています。
お互い歩みを進めて距離が近づくと、その男性の正体が判明。
前橋が生んだ詩人、萩原朔太郎のお孫さんで、前橋文学館館長の萩原朔美さんでした。
朔美さん、明るく気さくで発想力も豊かで、とってもいい方。
その時の会話を再現します。
朔美さん「散歩かい?ここはささ、『日本一美しい散歩道』って言ってるんだよ!」
はじめ「そうですよね、前に目黒川を見に行ったんですけど、広瀬川の方がいいですよね!」
朔美さん「そう、あれは掘りすぎだよ。」
はじめ「目黒川は水面が遠いし、ネットで覆われているし、歩道との一体感がないですよね。」
朔美さん「昔の広瀬川は、写真を見ると川に入れるところがあったみたいなんだよね。一部を暗渠にして、広瀬川の水を浅く流して、そこに入れる場所みたいのがあるといいよね。」
はじめ「親水公園みたいな感じですよね。あそこの公園みたいになっているところだったらできるんじゃないんですかね?」
朔美さん「いいよねー。『日本一美しい散歩道』って言い続けているんだよ!」
はじめ「それ、お借りします!」
朔美さんと私の意見が見事に一致しました。
町の中を川が流れていて、河畔は自然にあふれ、そして手を伸ばせば水に触れられるような距離感。
本当に「広瀬川」は、前橋が誇るすばらしい環境です。
では、「日本一美しい散歩道」をご覧になって下さい。
川の周囲には遊歩道が整備されていて、柳など、多くの木が植えられています。
この左側が、親水公園みたいにしたらいいな、と思ったところ。
水量の豊富さ、そして、それが間近にある距離感。
一部は、こんなに大きな木もあります。
河畔にある、前橋文学館と、萩原朔太郎の銅像。
朔太郎は、実際にこのあたりを歩いていて、詩碑もあります。
そして今日は、お孫さんが歩いていました。
かつてすぐとなりにあった製糸工場に水を送るための「交水堰」。
昭和8年完成の「比利根橋」。
今日は、合間にリフレッシュを求めて、散歩。
いつも通り、広瀬川の回りを中心に歩いていました。
そうすると、先の方から、男性がこちらに向かって手を振っています。
お互い歩みを進めて距離が近づくと、その男性の正体が判明。
前橋が生んだ詩人、萩原朔太郎のお孫さんで、前橋文学館館長の萩原朔美さんでした。
朔美さん、明るく気さくで発想力も豊かで、とってもいい方。
その時の会話を再現します。
朔美さん「散歩かい?ここはささ、『日本一美しい散歩道』って言ってるんだよ!」
はじめ「そうですよね、前に目黒川を見に行ったんですけど、広瀬川の方がいいですよね!」
朔美さん「そう、あれは掘りすぎだよ。」
はじめ「目黒川は水面が遠いし、ネットで覆われているし、歩道との一体感がないですよね。」
朔美さん「昔の広瀬川は、写真を見ると川に入れるところがあったみたいなんだよね。一部を暗渠にして、広瀬川の水を浅く流して、そこに入れる場所みたいのがあるといいよね。」
はじめ「親水公園みたいな感じですよね。あそこの公園みたいになっているところだったらできるんじゃないんですかね?」
朔美さん「いいよねー。『日本一美しい散歩道』って言い続けているんだよ!」
はじめ「それ、お借りします!」
朔美さんと私の意見が見事に一致しました。
町の中を川が流れていて、河畔は自然にあふれ、そして手を伸ばせば水に触れられるような距離感。
本当に「広瀬川」は、前橋が誇るすばらしい環境です。
では、「日本一美しい散歩道」をご覧になって下さい。
川の周囲には遊歩道が整備されていて、柳など、多くの木が植えられています。
この左側が、親水公園みたいにしたらいいな、と思ったところ。
水量の豊富さ、そして、それが間近にある距離感。
一部は、こんなに大きな木もあります。
河畔にある、前橋文学館と、萩原朔太郎の銅像。
朔太郎は、実際にこのあたりを歩いていて、詩碑もあります。
そして今日は、お孫さんが歩いていました。
かつてすぐとなりにあった製糸工場に水を送るための「交水堰」。
昭和8年完成の「比利根橋」。