こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家鈴木創です。

今日、休憩中にネットを見てみたら、「全国の鈴木さん、出番ですよ!鈴木姓の聖地大ピンチ」という記事を発見しました。 

「何だろう??」と思って見てみると、全国に広がる鈴木姓の大元である、和歌山県海南市の藤白神社境内にある鈴木屋敷が朽ち果てており、再建を行っている、ということの様です。

ちょっとネットで検索してみると、景行天皇5年に創建された藤白神社に、12世紀に鈴木重秀氏が派遣され、それ以降1942年まで「藤白鈴木家」が藤白神社の社家を務めていました。

その藤白鈴木家が1942年に断絶してしまい、それ以降空き家となっていたお屋敷が朽ち果ててしまったが、国の史跡として登録され、 再建が始まっています。国や県からもお金が出ますが、半分は藤白神社が負担しなければならなく、資金がまだ不足しているということの様です。

藤白神社は熊野古道沿いにあり、熊野三山に参詣する際に儀礼を行う「九十九王子」と呼ばれる神社群の中でも、筆頭格だったようです。
そして、熊野三山の一つである熊野速玉大社は、以前は代々穂積氏が神官を務めており、あるとき穂積氏の子息が鈴木姓を名乗ったのが、藤白鈴木家の始まりとのことです。
熊野神社が全国に約3,000ありますが、その熊野信仰の拡大に伴い、鈴木姓も広まりました。そして、鈴木の名前の由来は、稲穂を縛るのに使った「ススキ」ではないかと言われています。

今までは、「鈴木は熊野信仰に関係しているらしい」ということは聞いていましたが、具体的なことは、今回初めて知りました。

私は母方の家の地域である前橋で育ったので、母方の家のルーツは幕末くらいまでは知っているのですが、神奈川県出身の父方の家のことはそんなに詳しくありません。ですので、藤白鈴木家と私の鈴木姓がどうやって繋がっているのかは、調査してみたいですね。

そういえば、私の家の家紋は「稲紋」です。
ですので、「穂積」という名前や、稲穂、それを縛るススキなどに関係しているのかもしれません。
偶々ですが、お稽古場の近くにあり、たまにお参りに行っている神社は熊野神社です。

因みに、母方の家も、「田」という字が入っています。
日本には、昔から稲作が深く根付いていることを表していることを感じます。