こんにちは。群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

昨日は終戦の日でしたが、終戦に大きな役割を果たした人物がいます。
当時の内閣総理大臣、鈴木貫太郎氏です。

海軍軍人として歩み、海軍の要職を歴任。
その後侍従長として昭和天皇の近くに仕え、枢密院議長も務めています。
そして、夫人は子供の頃の昭和天皇の養育係も務めており、夫婦揃って、昭和天皇が信頼を寄せられておりました。80歳近い年齢で大命が降下され、内閣総理大臣となります。

日本が世界から孤立し、原爆が落とされ、ポツダム宣言が発せられます。当時の国内は陸軍を中心に「徹底抗戦」という空気が強かったのではないでしょうか。その中で、御前会議を開いて昭和天皇のご聖断を仰いだことにより、日本は戦争を終わらせることができました。しかし、それにより鈴木貫太郎氏は自宅を焼き討ちされてしまいます。

もしこの時に戦争を終わらせる決断をしていなかったなら、当時のアメリカの軍事計画に基づき、他の主要都市にも原子爆弾が落とされ、同時に南九州と関東地方に米軍が上陸し、日本は本当に壊滅していたかもしれません。大きな見地からの決断により、日本は救われ、今の日本があるのは、昭和天皇の聖断と、鈴木貫太郎首相の手腕によるものです。

そして、鈴木貫太郎氏は、前橋に縁があります。

お父様は千葉県の関宿藩士でしたが、維新後に子供の教育のことを考えて群馬県に奉職。貫太郎氏は、現在の桃井小学校(当時は厩橋学校)を卒業し、旧制前橋中学校(今の群馬県立前橋高等学校) に進みました。前中は卒業しなかったものの、攻玉社を経て海軍兵学校に進んでおります。

おそらく、前橋にいらしたのは9歳くらいから5年程度でしょう。しかし、その時期というのは人格形成に大切な時期であり、その年代に前橋にいたということは、同氏にとって影響が大きいと思われます。

今の前橋では、鈴木貫太郎さんの功績や、前橋との縁が知られているとは言えません。

しかし、今の平和な日本の元を作ったのは紛れもなく同氏であり、そして、その偉大な先人が前橋で育ったということは、前橋市民はもっと誇りに思うべきです。

こんな動画を紹介させていただきます。 

 

そして、「元気21」の隣にあるこの石碑は、鈴木貫太郎氏の揮毫によるものです。
2023-08-11 11.47.56