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箏曲家 鈴木創 公式ブログ「ことはじめ」

群馬県前橋市を拠点に活動する箏曲家鈴木創の公式ブログ「ことはじめ」です。

群馬の森

5 7月

前橋藩松平家の耀き

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

昨日、群馬県立歴史博物館に行ってきました。

目的はこれです。


2021-07-04 13.06.27

江戸時代後半、前橋は松平大和守家が領主でしたが、その松平家に関するテーマ展示です。

展示の主な内容は、
・「前橋町祭礼行列絵巻」の一部と、複製品の展示
・具足
・屏風
・碁盤や文箱など
・肖像画
でした。

私がすごいなと思ったのは、松平家から勝山家への拝領品である、貝合わせの道具入れや碁盤・文箱などでした。松竹梅や備前蝶などが蒔絵されています。これこそ、当時の大名の文化だと思わせる逸品でした。

でも、企画展ではなくて「テーマ展示」でしたので、全体的にちょっと物足らなかったかな。もっと当時の前橋の実情を彷彿とさせる様な内容だったら、より楽しめたでしょう。

ただ、今回の展示品全てが歴史博物館所蔵もしくは寄託されているもので、博物館所蔵品の貴重さを感じております。

残念ながら、今回の展示は7月4日で終了しております。


 
4 5月

信長と古墳と廃線跡と雨に花

みなさんこんにちは。
はじめちゃんこと、群馬県前橋市の 箏曲家 鈴木創 です。


本日5月4日は、お休みをいただきました。
久しぶりに目覚まし時計をかけずに朝寝坊をしてみると、
妻鉄子は「いい子にしてなー」とのセリフを残してどこかに行ってしまったので、
私も個人行動。

1:群馬の森、群馬県立歴史博物館

久しぶりに群馬の森の中にある「群馬県立歴史博物館」に行って来ました。
お目当ては、「織田信長と上野国」という企画展です。

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群馬の森の入り口は、こんなに美しい。

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天気も良い休日、家族連れで賑わっていました。

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お目当ての、群馬県立歴史博物館。

戦国時代の戦国大名の勢力分布の中で、織田信長が武田家を滅ぼし、群馬県がどのような影響を受けたか、そんなことがメインの企画です。

織田信長の配下として上州支配を任された滝川一益厩橋城(後の前橋城)に持ち込んだであろう陶磁器類も展示されていたり、本能寺の変の直後の神流川合戦の様子が、現在の地図に重ねられていた大きな地図が床面に貼り付けられていたりと、興味を引く展示がされていました。

特に、展示されていた「唐物肩衝茶入」は、足利将軍から織田信長、豊臣秀吉、徳川家と受け継がれた貴重な茶入れで、それを持っていることが日本の支配者の証という意味のあるもので、見物です。現在も、徳川記念財団で管理しているそうです。

また、群馬県立歴史博物館は昨年改修工事がなされ、常設展示では群馬県の歴史を古代から現代まで俯瞰できる内容となりました。
ただ、この常設展示の内容が豊富すぎて、企画展を見た後は集中して見る体力が残っておらず、大分はしょってきました。

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この建物は、建築界では最も権威のある、「建築業協会賞(通称BCS)」を受賞しています。
古巣の名前も見つけ、ちょっと嬉しい。

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群馬の森内部の道の路肩は、石が埋め込まれているのが、子供の頃から印象に残っています。
今日気づいたのですが、縁石がなんと白御影石!!


2:観音山古墳

さて、群馬の森を後にして、せっかくここまで来たのですから、近くの観音山古墳に寄らなくては失礼です。
さきほど、歴史博物館で、この古墳の出土品を見ていたので、頭の中に想像が膨らみます。

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「そんなに人はいないんでは」と思っていたのですが、私がいた15分くらいの間にも、計5組くらいの方が「来墳」(←今思いついた言葉)されていました。
けっこう人気があるのかな。

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前方後円墳の前方部の頭頂から正面を見ると、榛名山です。
なぜこちらが正面なのでしょうか。
「前方後円墳」の「前方部」が正面というのが、私の中の大きな謎なんです。
おまけに、この古墳は正面が北西部を向いています。
榛名山信仰となにか関係があるのか、さらにはそのもっと先との関係か、いろいろ考えます。

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赤城山も見えます。
赤城・榛名を眺めるこの地に、この古墳を作った想いは何なのでしょうか。

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前方部と後円部のそれぞれの頭頂部を結ぶ石畳。
石室は、後円部の頭頂部の真下にあります。

ここで風に吹かれながら考えました。
なぜ古墳を作ったのか。

古墳を作る時代が終わると、その後の時代は、大規模な寺院を作ることが、権威の象徴の一つでした。法隆寺や東大寺などがその例ですね。
大きな構築物を作ることが権威を示すことや周囲を威圧する手法と考えると、日本に仏教がやってきた6世紀より前は、大規模なお墓を代々作ることが、その手段だったのではないかと思い至りました。
とくに、その頃の地域の首長は宗教的な祭祀も担っておりましたから、自らの一族の力を示し、宗教的な権威を継承し、次代に地域支配の正当性をうけつぐ、その手段が古墳だったのではないでしょうか。
簡単に言うと、「自らが神になる」。そして、その一族が地域を支配する。


3:岩鼻軽便鉄道

そして、以前からネットや地図上で気になっていた、「岩鼻軽便鉄道」の廃線跡を見てきました。
「岩鼻軽便鉄道」は、昔の国鉄高崎線倉賀野駅から分岐し、群馬の森などの周囲に以前あった陸軍の火薬製造所まで繋がっていた鉄道です。

終戦の頃に廃止となったのですが、その後オイルターミナルやコンテナターミナルへの引き込み線となり、スイッチバックの様に車両を入れ替えるための線路が、崖状の地形のところに突如として高架として現れ、その先でぶつ切りになっています。

高架のところがかつては堤となっており、火薬製造所まで繋がっていたとのことです。

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突如として現れる高架線。写真右側の所で地形が崖状になっています。

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その先で、途切れています。
かつては堤があり、陸軍の火薬製造所につながっていたらしいですね。

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高架の近景。

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崖の上から高架を見る。

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上の写真の右側の方。この先に、オイルターミナルがあります。
線路の向こうに見えるのは、音楽の授業にお伺いしたことがある岩鼻小学校


4:雨に花

そして、ついに妻鉄子と合流し、赤城山を登って少し入った所にある「雨に花」というお店を訪問。

知らなければ行けないような場所にひっそりと佇む、林の中のお店です。
のんびりと夕食をいただきました。

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5:古墳にコーフン

帰宅後、歴史博物館で購入した本などに目を通しました。

まずは、今日見た企画展「織田信長と上野国」の図録と、「中世文書資料集」。

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そして、念願だった「群馬県古墳総覧」
存在を知っていて、とっても気になっていて、歴史博物館で発見し、とうとう購入。
群馬県内の古墳の所在地がすべて地図にプロットされており、
それぞれの古墳の名前・住所・形・現状などが一覧になっています。
今はもうないけれど、「こんなところに古墳があったんだ!」という発見があったり、
昭和初期や戦後の調査の様子の写真や資料もあったりと、大興奮する資料です。

さらには、これ。

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巻末に「詳細版」のCD-ROMが!!
いったいどれだけの情報が入っているのでしょうか!!
これを見始めたら、寝られなくなるかも。

さて、明日からまた働きます!!
長文かつ個人的な内容にお付き合いいただき、ありがとうございました。



◇公演日程◇
5月12日・13日:百花繚乱 皐月の宴(京林・高崎市井野町)詳しくはこちら
6月2日:箏×Flute(ハリウッドランドカフェ・みどり市)詳しくはこちら
6月16日:日本の音を愉しむ(PLUS+アンカー、桐生市)詳しくはこちら
6月20日Japonisum...音を愉しむ(Cafe Prele 文化邸、伊勢崎市)詳しくはこちら

◇下記公演については、決定次第お知らせいたします◇
7月21日:夏の縁(竹久夢二伊香保記念館)
7月28日:群馬県立舘林美術館
8月11日:山田さんと生田くん(アトリエミストラル、高崎市)
9月24日:前橋まちなか音楽祭 
      
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