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箏曲家 鈴木創 公式ブログ「ことはじめ」

群馬県前橋市を拠点に活動する箏曲家鈴木創の公式ブログ「ことはじめ」です。

群馬県立歴史博物館

10 1月

群馬県立歴史博物館のブルーノ・タウトの世界

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家鈴木創です。

先日、群馬県歴史博物館で2月7日まで開催されている、「ブルーノ・タウトの世界」を見てきました。


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ブルーノ・タウトはドイツの建築家ですが、ナチスが政権を取る社会情勢の中でドイツから逃げ、3年ほど日本にいました。そのうちの2年半は、高崎市の小林山にある洗心亭に滞在し、バックアップをしていたのは、当時井上工業を経営していた井上房一郎氏です。

井上氏は芸術にも造詣が深く、当時の高崎の芸術界のパトロンの様な存在でもありました。

タウトは日本の文化に深い感銘を受け、深く学び、そして自らの建築の視点にも生かし、数多くの工芸作品もデザインしております。

今回の展示は、工芸作品や図面を展示しており、ブルーノ・タウトの世界を垣間見ることができます。

そして、ほとんどの作品が撮影OKという太っ腹!

私が気に入った展示品を2つ紹介いたします。

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一番は、この小さな箪笥。心奪われました。
木の素材の柄の違いを上手く生かしています。
スムーズに動くのは、作った職人の技術の高さでしょう。


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プロッターです。
西洋文化のプロッターに漆を使い、和魂洋才の趣を感じます。

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そして、公認作品に押した印鑑。

竹の大きなスタンドもあったのですが、写真を撮り忘れてしまいました。

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この群馬県立歴史博物館の建物は、私の古巣が建てた建物で、BCS賞を受賞しています。

こんな細かいところの納まりも、なかなかこじゃれていますね。2021-01-08 10.51.03

2月7日まで開催しております。
Webで事前予約をお薦めします。

 
21 8月

綿貫観音山古墳出土品の国宝を見る

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家鈴木創です。

今日は、ここに行ってきました。


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県立群馬の森の中にある、群馬県立歴史博物館です。

目的は、

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「綿貫観音山古墳のすべて」です。

今年3月、国の文化審議会が、「群馬県綿貫観音山古墳出土品」を国宝に指定することを文部科学大臣に答申しました。9月頃の官報に掲載されれば、出土品が国宝になります。

そして、その出土品すべてが、この群馬県立歴史博物館に保管されており、国宝指定を記念して、今回の企画展示が行われました。

ちなみに、綿貫観音山古墳は、群馬県立歴史博物館のすぐ近くにあり、墳丘の上にのぼると、赤城や榛名の山から、関東平野が見渡せます。

この企画展示は、もちろん綿貫観音山古墳の出土品をメインに展示されていますが、奈良県の藤ノ木古墳や、福岡県の沖ノ島祭祀遺跡などからの出土品(国宝がいっぱい)も展示されていて、「国宝と、国宝就任予定のオンパレード」でした。

なぜ、他の古墳や遺跡の出土品を展示しているかというと、埋葬品の類似性を表現し、古代における地域の首長レベルの交流を物語るためです。
綿貫観音山古墳からは、藤ノ木古墳をはじめとする、各地域の首長レベルが眠っていると思われる古墳からの出土品と類似したものが出土されているので、ヤマト政権や各地域の首長との交流がわかります。
中には、韓国の武寧王陵との類似が指摘される出土品もあり、群馬の地の有力者が、国内だけでなく海外ともネットワークを持っていたことがわかります。
 
綿貫観音山古墳について、今回初めて知ったとても意外なことは、石室内には棺がなく、被葬者が横に寝させられていたということです。ですので、副葬品に囲まれて、実際に眠っているような景色だったと想像されます。 

展示されていた副葬品は、武具・馬具・祭祀道具・食器などでした。それらを見て疑問に思ったのは、そういった副葬品は、埋葬の際に新たに作ったのか、それとも、被葬者が生前実際に使ったものを副葬品としたのか、どっちなのかな?ということです。
現代の葬儀では、棺などに本人のお気に入りだったものなどを入れますよね。

また、これは私の仮説なのですが、他地域で製造されたものが副葬品となっているのは、ひょっとしたら、他地域の首長が、綿貫観音山古墳の被葬者が亡くなったときに、追悼の意を表現するために送ってきたのではないか、などとも思いました。
現代でいえば、「群馬の〇〇さんが亡くなって、葬儀には行けないから香典を送ろう」、といった感じなのかな、とも想像してみました。

一番驚いたのが、道具を作った技術レベルの高さです。
今から1,500年前ですが、ベルトのバックルの様な金具があります。馬具はそのまま現代でも使えそうなものですし、装飾の精緻さなどは、現代の職人さんでも製作が難しいのではないかと考えられるレベルです。そう考えると、工芸の技術は、もうこの時代に確立していたのかな、と感じました。

群馬県立歴史博物館は、企画展の他に常設展もあり、群馬県の歴史を古代から近現代に至るまで展示しています。そちらもかなり充実の内容で、全て見るとぐったりします。
また、今回は綿貫観音山古墳の企画展に合わせ、常設展の古代のコーナーに、綿貫観音山古墳の墳丘上に並べられていた埴輪も展示されていました。馬の埴輪などは、私の胸の高さくらいまである大きさで、圧倒されました。被葬者の当時の権力を感じます。

さて、今回の企画展示は、新型コロナウイルス対策のため、事前予約制で人数制限を設けています。そのせいでしょうか、また平日の昼間ということもあり、来場者が少なく、ゆっくりと展示品を見ることができました。

地域の歴史を見る時間、堪能しました。
しばらくは図録も楽しもうと思います。
入場料700円と図録が1,200円で、かなりコスパ高いと思います!

コフンにコーフン!

詳しくはこちらから。

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4 5月

信長と古墳と廃線跡と雨に花

みなさんこんにちは。
はじめちゃんこと、群馬県前橋市の 箏曲家 鈴木創 です。


本日5月4日は、お休みをいただきました。
久しぶりに目覚まし時計をかけずに朝寝坊をしてみると、
妻鉄子は「いい子にしてなー」とのセリフを残してどこかに行ってしまったので、
私も個人行動。

1:群馬の森、群馬県立歴史博物館

久しぶりに群馬の森の中にある「群馬県立歴史博物館」に行って来ました。
お目当ては、「織田信長と上野国」という企画展です。

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群馬の森の入り口は、こんなに美しい。

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天気も良い休日、家族連れで賑わっていました。

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お目当ての、群馬県立歴史博物館。

戦国時代の戦国大名の勢力分布の中で、織田信長が武田家を滅ぼし、群馬県がどのような影響を受けたか、そんなことがメインの企画です。

織田信長の配下として上州支配を任された滝川一益厩橋城(後の前橋城)に持ち込んだであろう陶磁器類も展示されていたり、本能寺の変の直後の神流川合戦の様子が、現在の地図に重ねられていた大きな地図が床面に貼り付けられていたりと、興味を引く展示がされていました。

特に、展示されていた「唐物肩衝茶入」は、足利将軍から織田信長、豊臣秀吉、徳川家と受け継がれた貴重な茶入れで、それを持っていることが日本の支配者の証という意味のあるもので、見物です。現在も、徳川記念財団で管理しているそうです。

また、群馬県立歴史博物館は昨年改修工事がなされ、常設展示では群馬県の歴史を古代から現代まで俯瞰できる内容となりました。
ただ、この常設展示の内容が豊富すぎて、企画展を見た後は集中して見る体力が残っておらず、大分はしょってきました。

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この建物は、建築界では最も権威のある、「建築業協会賞(通称BCS)」を受賞しています。
古巣の名前も見つけ、ちょっと嬉しい。

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群馬の森内部の道の路肩は、石が埋め込まれているのが、子供の頃から印象に残っています。
今日気づいたのですが、縁石がなんと白御影石!!


2:観音山古墳

さて、群馬の森を後にして、せっかくここまで来たのですから、近くの観音山古墳に寄らなくては失礼です。
さきほど、歴史博物館で、この古墳の出土品を見ていたので、頭の中に想像が膨らみます。

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「そんなに人はいないんでは」と思っていたのですが、私がいた15分くらいの間にも、計5組くらいの方が「来墳」(←今思いついた言葉)されていました。
けっこう人気があるのかな。

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前方後円墳の前方部の頭頂から正面を見ると、榛名山です。
なぜこちらが正面なのでしょうか。
「前方後円墳」の「前方部」が正面というのが、私の中の大きな謎なんです。
おまけに、この古墳は正面が北西部を向いています。
榛名山信仰となにか関係があるのか、さらにはそのもっと先との関係か、いろいろ考えます。

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赤城山も見えます。
赤城・榛名を眺めるこの地に、この古墳を作った想いは何なのでしょうか。

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前方部と後円部のそれぞれの頭頂部を結ぶ石畳。
石室は、後円部の頭頂部の真下にあります。

ここで風に吹かれながら考えました。
なぜ古墳を作ったのか。

古墳を作る時代が終わると、その後の時代は、大規模な寺院を作ることが、権威の象徴の一つでした。法隆寺や東大寺などがその例ですね。
大きな構築物を作ることが権威を示すことや周囲を威圧する手法と考えると、日本に仏教がやってきた6世紀より前は、大規模なお墓を代々作ることが、その手段だったのではないかと思い至りました。
とくに、その頃の地域の首長は宗教的な祭祀も担っておりましたから、自らの一族の力を示し、宗教的な権威を継承し、次代に地域支配の正当性をうけつぐ、その手段が古墳だったのではないでしょうか。
簡単に言うと、「自らが神になる」。そして、その一族が地域を支配する。


3:岩鼻軽便鉄道

そして、以前からネットや地図上で気になっていた、「岩鼻軽便鉄道」の廃線跡を見てきました。
「岩鼻軽便鉄道」は、昔の国鉄高崎線倉賀野駅から分岐し、群馬の森などの周囲に以前あった陸軍の火薬製造所まで繋がっていた鉄道です。

終戦の頃に廃止となったのですが、その後オイルターミナルやコンテナターミナルへの引き込み線となり、スイッチバックの様に車両を入れ替えるための線路が、崖状の地形のところに突如として高架として現れ、その先でぶつ切りになっています。

高架のところがかつては堤となっており、火薬製造所まで繋がっていたとのことです。

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突如として現れる高架線。写真右側の所で地形が崖状になっています。

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その先で、途切れています。
かつては堤があり、陸軍の火薬製造所につながっていたらしいですね。

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高架の近景。

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崖の上から高架を見る。

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上の写真の右側の方。この先に、オイルターミナルがあります。
線路の向こうに見えるのは、音楽の授業にお伺いしたことがある岩鼻小学校


4:雨に花

そして、ついに妻鉄子と合流し、赤城山を登って少し入った所にある「雨に花」というお店を訪問。

知らなければ行けないような場所にひっそりと佇む、林の中のお店です。
のんびりと夕食をいただきました。

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5:古墳にコーフン

帰宅後、歴史博物館で購入した本などに目を通しました。

まずは、今日見た企画展「織田信長と上野国」の図録と、「中世文書資料集」。

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そして、念願だった「群馬県古墳総覧」
存在を知っていて、とっても気になっていて、歴史博物館で発見し、とうとう購入。
群馬県内の古墳の所在地がすべて地図にプロットされており、
それぞれの古墳の名前・住所・形・現状などが一覧になっています。
今はもうないけれど、「こんなところに古墳があったんだ!」という発見があったり、
昭和初期や戦後の調査の様子の写真や資料もあったりと、大興奮する資料です。

さらには、これ。

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巻末に「詳細版」のCD-ROMが!!
いったいどれだけの情報が入っているのでしょうか!!
これを見始めたら、寝られなくなるかも。

さて、明日からまた働きます!!
長文かつ個人的な内容にお付き合いいただき、ありがとうございました。



◇公演日程◇
5月12日・13日:百花繚乱 皐月の宴(京林・高崎市井野町)詳しくはこちら
6月2日:箏×Flute(ハリウッドランドカフェ・みどり市)詳しくはこちら
6月16日:日本の音を愉しむ(PLUS+アンカー、桐生市)詳しくはこちら
6月20日Japonisum...音を愉しむ(Cafe Prele 文化邸、伊勢崎市)詳しくはこちら

◇下記公演については、決定次第お知らせいたします◇
7月21日:夏の縁(竹久夢二伊香保記念館)
7月28日:群馬県立舘林美術館
8月11日:山田さんと生田くん(アトリエミストラル、高崎市)
9月24日:前橋まちなか音楽祭 
      
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