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箏曲家 鈴木創 公式ブログ「ことはじめ」

群馬県前橋市を拠点に活動する箏曲家鈴木創の公式ブログ「ことはじめ」です。

長唄

26 2月

お三味線の撥について

みなさんこんにちは。
はじめちゃんこと、群馬県前橋市の 箏曲家 鈴木創 です。

さて、昨日は外出のレポートをさせていただきましたが、またお三味線の話しに戻ります。

今日の最初のお話しは、演奏の時に必須なです。
以前も申し上げたとおり、お三味線の撥は、そのジャンルによって大きさや厚み等の違いからかなりの種類があります。
私共は、数ある撥の中で、津山撥の七寸八分という規格のものを使っております。

名前の「津山撥」というのは、津山検校という方が改良したことに由来する名前で、
七寸八分というサイズは、長さです。略して「七八(しちはち)」と呼んだりすることもあります。

実際に、私の撥のサイズを測ってみると、長さが凡そ24cmで、撥先の開きが約13cm。
長さが、ほぼ七寸八分(23.4cmくらい)ですね。


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こんな感じで握り、下の写真の様に弾きます。
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インカメラの自撮りのため、アップですいません、、、

下の写真をご覧下さい。
右の撥は真っ白ですね。これは、象牙製です。主に舞台の本番などで使います。
左の撥は、白い部分が象牙で、先が鼈甲です。これは普段のお稽古などに使います。
この撥は、断面で象牙を継いで有り、大きな象牙を使っていないため、その分若干安価なものです。
これ以外にも、白い部分がプラスチックで、先が鼈甲の撥もあります。多くの方は、これを使っています。
下に敷いてある白い紙がA4サイズです。大きさの感じの参考までに。

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 使わないときは、撥先に「撥さや」と呼ばれるカバーを付けて、保護します。
下の写真が、撥さやを付けたところです。

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津山撥の形状としての特徴ですが、途中から撥先に向かって急速に薄くなっています。 
下の写真で、段がついているところから先の形状をご覧になって下さい。
長唄の撥などは、段がなく、撥先から一番下の部分までスロープ状になっています。
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なぜこういった形状かというと、しなりやすくするためです。
地歌はお座敷芸ですので、落ち着いたひびきのある音を求めます。
ですので、重い撥をしならせて音を出すことが大切なんですね。

素材も、やはり象牙や鼈甲を使うのは、しなるからなんです。
現代の技術をもってしても、人工で変わる素材はありません。
安いプラスチックの撥がありますが、しならず、音も硬く、お三味線がかわいそうになってしまいます。。。

もし皆さんの身近にお三味線をされている方がいらしたら、
撥などの道具を見させていただくと、私共地歌との比較ができて面白いかもしれません。 

そろそろお三味線のことを多くお話しさせていただきました。
次回は、お三味線や素材の現状についてお話しさせていただく予定です。 
21 2月

お三味線の歴史と分類について

みなさんこんにちは。
はじめちゃんこと、群馬県前橋市の 箏曲家 鈴木創 です。

昨日は「地歌」についてお話しをさせていただきましたが、
今日は地歌にかかせないお三味線のお話しです。。

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お三味線は、16世紀末、中国の三弦が沖縄経由で現在の大阪府堺市に入ってきました。
それを琵琶法師達が使い始め、成立したのが「地歌」です。

沖縄の三線は、太鼓の部分には蛇の皮が張ってあり、指に大きなサックの様な爪をつけて、その爪で演奏します。 

日本の琵琶法師達は、琵琶の撥でお三味線も弾いてみたのでしょう。
琵琶の撥は、扇を広げたような三角形です。

おそらく、撥先が蛇の皮に引っかかってしまい、弾きにくかったのではないでしょうか。
いろいろに工夫をし、猫の皮を張るようになりました。

現在では、猫の皮の他に、より安価で丈夫な犬も使われています。
ただし、地歌に関しては、音は猫の皮が一番いいですね。
ですので、お稽古用三味線が犬で、本番や演奏用が猫であったりします。
裏と表両面に皮を張るので、表が猫・裏が犬という場合もあります。

そして、琵琶の撥が元となったために、今のお三味線の撥は、大きな銀杏の葉っぱの様な形をしています。

その後三味線は、江戸時代を通じて庶民の心を弾き歌う楽器として広まり、その地域地域で工夫を凝らされた改良をされました。また、奏法も様々です。

わかりやすいのが、津軽三味線ですね。
津軽は寒く風が吹き抜けます。その中で、盲人が「門付け」といい、人様のご自宅の軒下などで三味線を演奏しました。
ですので、寒さや風に負けないように、早く大きな音で弾く曲が多く生まれ、早く弾きやすいように、撥も小さめです。

私共の「地歌」は、お座敷芸でゆったりとした響きを重視するので、大きめの撥ですね。

「長唄」は江戸で歌舞伎と共に発達した「舞台芸」ですので、比較的力強い音を出します。

これはほんの一例ですが、撥の種類・大きさなど、本当に沢山の種類があります。

三味線自体は、現在便宜上「細棹」「中棹」「太棹」と、棹の太さに応じて三種類に分けられています。

私共「地歌」は「中棹」に分類されますが、「中棹」でも民謡のお三味線は棹が若干短かったりなど、また細かい違いがあります。
因みに、津軽三味線は太棹で、長唄は細棹に分類されます。

次回のお三味線は、地歌三味線の細かいことをお話しさせていただきます。

 
20 2月

地歌とは

みなさんこんにちは。
はじめちゃんこと、群馬県前橋市の 箏曲家 鈴木創 です。 

私共は、お箏とお三味線の両方を演奏し、それらを総合して「箏曲」と呼んでいます。

お三味線音楽には、いろいろな種類がありますが、私共は「地歌」というジャンルに分類されます。

「地歌」とはなんぞや??ということですが、
戦国時代に、現在の大阪府堺市に三味線の元となる楽器が伝来し、それ以降に初めて成立した三味線音楽です。三味線音楽としては、一番古いのかもしれませんね。
(このあたりの経緯は、「三味線の歴史」として、後日お話しさせていただく予定です。)

地歌は主に関西地方で発達しましたが、江戸時代に入ると、江戸でも地歌が歌われました。しかし、江戸ではそのうち歌舞伎などと結びつき、「長唄」になって行きます。
また、「地歌」はお座敷芸で、長唄は歌舞伎との結びつきがあるので、舞台芸という性格があります。

地歌はお座敷芸ですので、あまり音をジャンジャン鳴らすと言うよりは、ゆったりとした響きを大切にします。また、歌も一つの単語をじっくりと伸ばすので、「生み字」と呼んでいる「母音」が聞こえることが多いですね。
(「君が代」も「きーみー」と、「い」などの母音を伸ばした音が多いのと一緒です)

「生み字」ばかり聞こえるし、かつ作詞されたのが江戸時代が多いですから、言葉などが現代とは違う部分もあり、現代の方にはわかりずらい、となってしまうことは否定できません。

でも、歌の内容はどんな内容かというと、女性の心情が多いです。
特に、「廓もの」といい、遊郭で働く女性を歌った作品がとても多いですね。

現代でも、演歌には「六本木」とか「赤坂」などの地名が出てくることが多いですし、ラブソングには地名が付きものですよね。
カラオケの映像などは、寂しそうに女性が一人でウイスキーやカクテルを飲んでいる姿も頻繁に見かけます。

たかが300年から400年。
人間の本質は、そんなに変わりません。

「地歌」といっても、当時としてはポップス曲だったのです。
「馴染みのお客が他の女性のところに行ってしまった」
そんな内容がけっこうあるのです。

ですので、「わからない」なんてことは言わないで、興味を持って聴いていただきたいです。
今の歌謡曲などと通ずる部分があります。

なので、私は歌詞や曲の解説を丁寧にさせていただき、お客様に曲の世界を感じていただくことを心がけています。

ぜひ、「地歌」をお楽しみ下さい。 
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