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箏曲家 鈴木創 公式ブログ「ことはじめ」

群馬県前橋市を拠点に活動する箏曲家鈴木創の公式ブログ「ことはじめ」です。

2021年08月

26 8月

まえばし心の旅019:高校野球

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

週に一回水曜日、まえばしCITYエフエムでお送りしている「はじめのまえばし心の旅」。 

昨日8月25日のテーマは「高校野球」でした。

リスナーの皆さんの反応も大きく、メールなども番組に大変たくさんいただきました!

音声データはこちらからお楽しみ下さい。

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今、熱戦が繰り広げられている甲子園。今年はコロナや雨に大きな影響を受けたが、夏の熱 い戦いを見ていると、子供の頃からの、様々な出来事を思い出す。

私の祖父が、前橋工業高校、いわゆる「マエコー」の野球部に関係していたので、子供の頃から前工野球部は生活の 一部だった。休みの日は毎週の様に祖父に連れられて、当時岩神にあった前工野球部のグラウンドに行っていた。夕食も野球部の生徒と一緒のこともしょっちゅうだった。夏休みなど の旅行先は、前工の遠征先。もちろん、敷島球場や城南球場の試合の応援も数えきれない程見に行った。

その中でも特に記憶に鮮明なのは、昭和 58 年の夏の県大会の決勝だ。前工対太田工業。現在埼玉⻄武ライオンズのジェネラルマネージャーを務める渡辺久信さんがマウンドに立っていたが、延⻑戦の末押し出しのフォワボールで、太田工業にサヨナラ負けをしてしまった。
 

そんな縁から、祖父は渡辺さんの結婚の際には仲人をし、私も披露宴に出席させていただい ている。その渡辺さんが⻄武ライオンズの監督就任 1 年目に日本シリーズで優勝を果たしたその日に、祖父が旅立ったのは、強い運命を感じる。きっと、祖父の魂は、決戦の場、東 京ドームにいたと思う。
 

私が大学生の頃、前工が甲子園で2 年連続ベスト4になった。テニスサールの練習日だったが、練習そっちのけで、テニスコートのテレビで甲子園を見ていた。その数年一高校が群馬としてめて甲子園で優勝したが、しい反面、それが前工でなかった のが、ちょっと複雑な心だった。
 

でも、私が業したのは前橋高校、マエタカだ。高校生の頃はもちろん、敷島にを運び、 「イ前橋!」をみんなでんだ。ただ、前高対前工の試合だけは、どっちを応援したらいいのかわからなかった。
 

社員平成 1年、前高がの甲子園に出場した。その時の任先の支店⻑が前工野球部のOB だったが、「前高が甲子園にいなんて滅多にないんだから、今日はまえはテレビを見てろ」とってださり、支店テレビ独占した。
 

その8年平成 22 年、前工がの甲子園に出場し、私も甲子園に応援に行った。その時の前工野球部の監督が、平成 1年に前高が甲子園に行った時の選手だった。これもかのり合わせと思う。
 

その頃、前高野球部の監督に、私の同級生が就任した。やはり、同級生が監督だと、応援に

熱がる。敷島球場のスンドに、部ご兄以外にやけに熱い一がいたが、それが私 たち監督同級ームだった。
 

平成 25 年、前橋育英高校が、甲子園出場優勝を果たした。決勝戦の日、会打 ち合わせで「今日は育英の応援にいきます」と宣言し、会にして元気 21 のパブッ クビューイングを見に行った。県の優勝、それも前橋の高校ということで、本当に上 がった。面白かったのが、育英業生の多くは甲子園りしたのだろうか、元気 21 に集 まっていたのは、前高業生がかったことだ。
 

高校野球は、1回負ければわりだ。そして、高校生に来年はない。その緊張感やき に続けてきた純粋努力。その経験は、高校球たちにとって、そのの人生に大きなと なるだろう。私たちにとっても、その姿がをもらう。勝けて頑張った一人 一人の、これからの人生にあらんとう。


 
25 8月

フランクリンの十三徳

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

私は以前から感じていたことなのですが、今の日本人は、生きる軸という様なものが弱い様に思います。

江戸時代は、寺子屋で中身がわからないながらも論語を誦じて、それがやがて血となり肉となり、日本人は明治維新やその後の文明開化を進めました。

しかし、戦後はそういった思想的な教育がなくなってしまったため、日本人には考え方の軸や価値判断の基準というのが弱いと感じています。

そんななか、 ひょんなことから、「フランクリンの十三徳」というものに出会いました。

これは、日々の生活の中で心がけるべきものといった感じでしょうが、読んでみると当たり前だけど難しいことばかりです。

ちょっと、意識して生活してみようと思います。 

フランクリンの十三徳
 
24 8月

なんやかんやの一日でした

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

今日は、当初はのんびりとした一日の予定だったのですが、現実にはあっという間の一日になりました。

というのも、メール・メッセンジャー・LINEなど、いろいろな連絡が入り、予定外の対応がたくさん!。

途中で、iPhoneからLINEのメッセージ着信音が聞こえてくると、ビクっとするくらい!

おまけに、現在抱えている案件が複数あり、それらの内容を考えたりもしなければなりません。

まあ、どうやら私はゆっくりとできない性分でもあるし、そういう巡り合わせなのかもしれません。

そういう一日を過ごして思うのは、いろいろな役割をいただいたり、人から頼まれたりするのは、学びの機会が増えるので、とてもありがたいなと思います。

一つ一つのことに、誠実に取り組んで行きます。 
23 8月

8月23日の日記。

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

8月23日、今日の日記です。

朝は、昨日の打ち合わせなどに基づき、いろいろ情報収集。
この件は、いろいろ決まったら、皆様にもお知らせをさせていただきます。

その後、門人さんが来て、お稽古。

お昼は近所のUNIT TWOに行く。
なんと、お客さんみんなが知り合いという状況。
地元っていいですね。

その後、若い音楽家が来て、打ち合わせ。

その打ち合わせを受けて、各所に連絡と、楽譜の作成。
この、楽譜の作成が、けっこう時間がかかってしまった。

夕方から、門人さんのお稽古。

お稽古終了後、編曲を考える。
これは、あまり時間の余裕がないが、でも慌ててはいけない。

さて、明日も一日、がんばりましょう! 
22 8月

群馬の文化。止めてはならない。

こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。

今日、数人の音楽関係者で打ち合わせを行いました。
その中の雑談で、ある方がお話をされたことが、印象に残っています。
その内容は、

「祖先の記録を見たら、昭和20年9月に身内があつまり、 今後の日本のあり方を議論し、文化で生きていくべき」という議論をしたとのこことです。

昭和20年9月といえば、まだ戦争が終わって1ヶ月経つか経たないか。
前橋の中心部は焼け野原で、人々は食うや食わずかの状況だったでしょう。

これを聞いて思い出した2つのこと。

前橋に今でもある邦楽や日本舞踊の団で、「温故和楽会」という会があります。
私も事務局員として、勉強をさせていただいております。
この団体も、聞くところによると戦後すぐに呼びかけが始まり、昭和22年11月には第一回の演奏会を、群馬会館で開催しております。

創立の趣旨には、「邦楽という伝統芸能を通じ、民心を癒し荒んだ風潮を是正し、文化国家建設という祖国復興の一助としたい」と書かれています。

もうひとつは、群馬交響楽団、いわゆる群響です。
群響は、昭和20年11月に、「高崎市民オーケストラ」として発足したのが、そのはじまりです。

群馬県民は、地方都市にオーケストラがあるのが当たり前の様に感じておりますが、これは全国的にも稀有なことなんですね。そして、移動音楽教室などで、音楽の裾野を拡げた功績は、極めて大きなものがあります。

こういったことを鑑みると、群馬の先人たちは、戦後というまだ生活も生命も安定していない時に、文化をもって人心を癒し、祖国復興に繋げようと言う高い志を持っていたことがわかります。

文化や音楽の世界の端くれに身を置く一員として、ウイルスとの世界大戦といってもいい今の時代に、先人の志を受け継ぎ、世のため人のためになる動きを止めてはならないという想いを、改めて強くしました。

前に進みます。

※本記事は、投稿が23日の朝になってしまいました。

 
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