鈴木貫太郎
10
9月
こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。
私が事務局長を務める前橋鈴木貫太郎顕彰会が中心となり、『大河ドラマ「鈴木貫太郎」を実現する会』の発会式と記念講演が開催されます。
鈴木貫太郎は、少年時代を前橋で過ごし、私にとっては高校(旧制中学)の先輩に当たります。そしてその後海軍に進み、侍従長として昭和天皇にお仕えし、内閣総理大臣としてあの戦争を終結に導きました。その後現行憲法の制定にも取り組み、戦後日本の平和の礎を作った人物です。そんな偉人が前橋縁の方なんです!
その功績をもっと多くの人に知っていただき、群馬や前橋の人たちのシビックプライドをより向上してもらいたく、大河ドラマを実現する組織を立ち上げます。
会長には、日本商工会議所名誉会頭の三村明夫様(前橋出身)が就任し、副会長は全国の貫太郎ゆかりの地の商工会議所会頭です。
そして記念講演は、昭和史の研究で多数の著作を手がけている保阪正康さんがいらっしゃいます。
10
9月
こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。
私が事務局長を務める前橋鈴木貫太郎顕彰会が中心となり、『大河ドラマ「鈴木貫太郎」を実現する会』の発会式と記念講演が開催されます。
鈴木貫太郎は、少年時代を前橋で過ごし、私にとっては高校(旧制中学)の先輩に当たります。そしてその後海軍に進み、侍従長として昭和天皇にお仕えし、内閣総理大臣としてあの戦争を終結に導きました。その後現行憲法の制定にも取り組み、戦後日本の平和の礎を作った人物です。そんな偉人が前橋縁の方なんです!
その功績をもっと多くの人に知っていただき、群馬や前橋の人たちのシビックプライドをより向上してもらいたく、大河ドラマを実現する組織を立ち上げます。
会長には、日本商工会議所名誉会頭の三村明夫様(前橋出身)が就任し、副会長は全国の貫太郎ゆかりの地の商工会議所会頭です。
そして記念講演は、昭和史の研究で多数の著作を手がけている保阪正康さんがいらっしゃいます。
12
5月
こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。
昨日5月11日、私が事務局長を務める前橋鈴木貫太郎顕彰会の一周年記念講演会・総会が開催されました。

ご来賓として、日本商工会議所名誉会頭の三村明夫様、前橋市長小川晶様、鈴木貫太郎のお孫さんやひ孫さん、関宿藩主久世家の方など、たくさんの方がいらっしゃいました。


講演会は、野田市市政推進室学芸員の笹川知樹様が「鈴木貫太郎顕彰活動の展開ー鈴木貫太郎記念館会館までー」という演題で講演を行って下さいました。
鈴木貫太郎が亡くなってからあまり年数が経ってない頃から、その事績を顕彰する活動が始まり、それが野田市鈴木貫太郎記念館の開館につながったことなどをお話しくださいました。

その後は総会に移り、決算・予算・活動報告や活動計画が承認され、さらには会の目標である大河ドラマの実現に向け、「大河ドラマ『鈴木貫太郎』を実現する会」の立ち上げも承認され、その会の会長に三村明夫様が就任することをご了解いただきました。
これは、大河実現に向けた大きな一歩を踏み出せたと感じております。

懇親会では、他のご来賓の方からもいろいろなお話をいただき、歴史にきちんと向き合い、学ぶことの大切さを感じました。
昨日5月11日、私が事務局長を務める前橋鈴木貫太郎顕彰会の一周年記念講演会・総会が開催されました。

ご来賓として、日本商工会議所名誉会頭の三村明夫様、前橋市長小川晶様、鈴木貫太郎のお孫さんやひ孫さん、関宿藩主久世家の方など、たくさんの方がいらっしゃいました。


講演会は、野田市市政推進室学芸員の笹川知樹様が「鈴木貫太郎顕彰活動の展開ー鈴木貫太郎記念館会館までー」という演題で講演を行って下さいました。
鈴木貫太郎が亡くなってからあまり年数が経ってない頃から、その事績を顕彰する活動が始まり、それが野田市鈴木貫太郎記念館の開館につながったことなどをお話しくださいました。

その後は総会に移り、決算・予算・活動報告や活動計画が承認され、さらには会の目標である大河ドラマの実現に向け、「大河ドラマ『鈴木貫太郎』を実現する会」の立ち上げも承認され、その会の会長に三村明夫様が就任することをご了解いただきました。
これは、大河実現に向けた大きな一歩を踏み出せたと感じております。

懇親会では、他のご来賓の方からもいろいろなお話をいただき、歴史にきちんと向き合い、学ぶことの大切さを感じました。
6
12月
こんにちは。はじめちゃんこと、群馬県前橋市の箏曲家、鈴木創です。
前回もお話をしたとおり、12月5日・6日と、前橋鈴木貫太郎顕彰会の旅行で、鈴木貫太郎生誕の地である大阪府堺市に行ってきました。
ー5日ー
朝、前橋から新幹線で大阪に向かい、新大阪駅から貸切バスに乗り、移動。
最初の訪問先は「住吉大社」。ここは、鈴木貫太郎が参拝したと言われております。でもそれ以上に、すでに1500年以上の歴史を持ち、遣唐使の進発地点になっていたということで、記念碑がありました。また、4つの社のうち3つは直線に並んでいて、それが西を向いています。これは、海に向けて建てられていて、何かの当時の国家メッセージを感じるものがあります。


その次が堺市博物館で、ここでは鈴木貫太郎について研究している博物館の学芸員の方のお話を聞きました。鈴木貫太郎が堺市を訪問した際の写真なども見せていただきました。すぐ隣には、電力王松永安左エ門や福助から寄贈された茶室があったり、また目の前には大山古墳(仁徳天皇陵)があったりと、ゆっくりと再訪したい場所ですね。お三味線の話しをしたのは、前回も書きました。

そしてもう1箇所、この時はだいぶ暗くなってきたのですが、「ソフィア堺 中図書館」へ。ここは、堺市中区の図書館なのですが、鈴木貫太郎について「中区出身の総理大臣」ということで、関連書籍や資料などを展示していました。

一行はここでホテルに帰り、近くの居酒屋さんをお借りして懇親会となりました。
ー6日ー
朝一番の訪問先は「南宗寺」。ここは鈴木貫太郎と直接関わりのある場所ではないですが、千利休やその師匠である武野紹鴎とのゆかりがあります。千利休はたくさんの慰霊碑があり、武野紹鴎はお墓があります。そして、千利休が実際に使ったと言われている茶室を再現した建物もありました。また、大坂夏の陣で殺害されたという説のある徳川家康のお墓といわれている場所もあったり、興味深い建物もある、またゆっくりと訪れたい場所ですね。
次の訪問先は、多治速比売神社で、鈴木貫太郎生誕の地の近くにあり、子供の頃に日常的に立ち寄っていたのではないかという場所です。実際に大正12年に寄進された玉垣や、二・二六事件で瀕死の重傷を負った後に回復し、その後参拝した写真も残っています。その写真に写っている宮司さんのお孫さんが、現在の宮司さんでした。



そして、社会福祉法人福生会を訪問。ここは、鈴木貫太郎のお父様が代官を務めていた地域の庄屋さんである中辻家が運営している社会福祉法人で、天保年間の建物が今でも残っています。実は、その建物の中で貫太郎は生まれたという説もあります。また、「福生会」という名前は、貫太郎が中辻家に贈った揮毫「福生積善」からとったということです。



そして最後は「鈴木貫太郎生誕の地」の石碑訪問です。福生会から徒歩で数分のところにあり、この碑の建立者は中辻家の方で、中辻家と鈴木家の結びつきの強さがよくわかります。また、この碑は昭和4年に建てられたのですが、平成28年に一部改修工事が行われていて、いまでも地域で愛されている様子が伺えました。

実は、公式に鈴木貫太郎が生まれたとされている関宿藩の陣屋は、この碑の道を挟んだ反対側、いまではパチンコ店跡地やガソリンスタンドのところにあったらしく、道路整備などの際に現在地に移転してきたとのことです。
大変盛りだくさんの内容ですが、ゆかりの地を巡り、鈴木貫太郎の息吹を感じる経験となりました。
前回もお話をしたとおり、12月5日・6日と、前橋鈴木貫太郎顕彰会の旅行で、鈴木貫太郎生誕の地である大阪府堺市に行ってきました。
ー5日ー
朝、前橋から新幹線で大阪に向かい、新大阪駅から貸切バスに乗り、移動。
最初の訪問先は「住吉大社」。ここは、鈴木貫太郎が参拝したと言われております。でもそれ以上に、すでに1500年以上の歴史を持ち、遣唐使の進発地点になっていたということで、記念碑がありました。また、4つの社のうち3つは直線に並んでいて、それが西を向いています。これは、海に向けて建てられていて、何かの当時の国家メッセージを感じるものがあります。


その次が堺市博物館で、ここでは鈴木貫太郎について研究している博物館の学芸員の方のお話を聞きました。鈴木貫太郎が堺市を訪問した際の写真なども見せていただきました。すぐ隣には、電力王松永安左エ門や福助から寄贈された茶室があったり、また目の前には大山古墳(仁徳天皇陵)があったりと、ゆっくりと再訪したい場所ですね。お三味線の話しをしたのは、前回も書きました。

そしてもう1箇所、この時はだいぶ暗くなってきたのですが、「ソフィア堺 中図書館」へ。ここは、堺市中区の図書館なのですが、鈴木貫太郎について「中区出身の総理大臣」ということで、関連書籍や資料などを展示していました。

一行はここでホテルに帰り、近くの居酒屋さんをお借りして懇親会となりました。
ー6日ー
朝一番の訪問先は「南宗寺」。ここは鈴木貫太郎と直接関わりのある場所ではないですが、千利休やその師匠である武野紹鴎とのゆかりがあります。千利休はたくさんの慰霊碑があり、武野紹鴎はお墓があります。そして、千利休が実際に使ったと言われている茶室を再現した建物もありました。また、大坂夏の陣で殺害されたという説のある徳川家康のお墓といわれている場所もあったり、興味深い建物もある、またゆっくりと訪れたい場所ですね。
次の訪問先は、多治速比売神社で、鈴木貫太郎生誕の地の近くにあり、子供の頃に日常的に立ち寄っていたのではないかという場所です。実際に大正12年に寄進された玉垣や、二・二六事件で瀕死の重傷を負った後に回復し、その後参拝した写真も残っています。その写真に写っている宮司さんのお孫さんが、現在の宮司さんでした。



そして、社会福祉法人福生会を訪問。ここは、鈴木貫太郎のお父様が代官を務めていた地域の庄屋さんである中辻家が運営している社会福祉法人で、天保年間の建物が今でも残っています。実は、その建物の中で貫太郎は生まれたという説もあります。また、「福生会」という名前は、貫太郎が中辻家に贈った揮毫「福生積善」からとったということです。



そして最後は「鈴木貫太郎生誕の地」の石碑訪問です。福生会から徒歩で数分のところにあり、この碑の建立者は中辻家の方で、中辻家と鈴木家の結びつきの強さがよくわかります。また、この碑は昭和4年に建てられたのですが、平成28年に一部改修工事が行われていて、いまでも地域で愛されている様子が伺えました。

実は、公式に鈴木貫太郎が生まれたとされている関宿藩の陣屋は、この碑の道を挟んだ反対側、いまではパチンコ店跡地やガソリンスタンドのところにあったらしく、道路整備などの際に現在地に移転してきたとのことです。
大変盛りだくさんの内容ですが、ゆかりの地を巡り、鈴木貫太郎の息吹を感じる経験となりました。










